いつものように思考の中にいる私
あるお寺での坐禅体験でのことです。
坐禅に入る前に「3つの心得」を伺いました。
調身・調息・調心です。
調身(ちょうしん):正しい姿勢。
調息(ちょうそく):正しい呼吸。
調心(ちょうしん):心を整える。
お尻の下に座蒲(ざふ)をあて、姿勢を正して座ります。
呼吸は腹式呼吸。
お臍の下の「下丹田」を意識して行います。
息を吐く、そして吸う。
これが一回の呼吸。
二十分間の体験中、姿勢を守り、
呼吸を数え続けます。
そうすることで、心を整えていきました。
一回、二回。
始めの頃は、順調に呼吸の数を数えていました。
しかし、やがて呼吸への集中が薄れていきます。
今、何分経過しただろう。
外の廊下を歩いていく人の声が気になります。
やがて私は、
呼吸の数がわからなくなってしまいました。
きりの良い数字までは記憶があります。
四十は間違いがない。
しかし今の呼吸は、四十二なのか四十三なのか。
私は、間違いがないと自信のある
四十から数え続けることにしました。
体験終了後、僧侶から説明がありました。
「呼吸は何回でしたか? 100以上数えた方はいますか? 50以上の方は? ……
では、途中で何回なのか分からなくなった方はいませんか?」
「それがあなたです」という鏡
僧侶は静かに続けました。
「長い時間数え続けていれば、途中でわからなくなるものです。
そのとき『どうしたか』。そこに、あなた自身が現れます。
途中で数が分からなくなったとき、最初から数え直す人がいます。
数えること自体をやめてしまう人がいます。
適当な数から再開する人がいます。
「それが、あなたとです」
その言葉に、私はハッとしました。
私は、適当な数から数え続けていく人間だったのです。この坐禅体験は私のありようを映し出す「鏡」のようでした。