間違いに気づかされた日
子供たちの勝利だけを目指してきた私は、
子供たちの痛みを知り、
間違ってきた自分に気づかされるのでした。
勝ちさえすれば良いなど間違っています。
しかし当時の私は、そんな当たり前がわからないのです。
これが私の役割だと信じ込んでしまいました。
なぜ、私の言葉は子供たちに届かないのか。
それは、私が自分の役割だと信じてきたものが、
間違いだったと言う証でした。
勝つためだけに練習させるのは私の欲でしかありません。
練習とは喜びのはず
練習は何のためにするものなのか。
身につけたい技術など、成長するためであり、
そこには自分自身の喜びが伴うもの。
誰かに勝つためではなく、
練習とは本来、昨日の自分を超えていく喜びです。
それが、子供たちが求めていたものなのです。
優勝するためだけに猛練習を重ねていたなら
優勝さえすれば、それで燃え尽きてしまうかもしれません。
身につけてきた技術が試合の中で発揮できたなら、
優勝するかどうかより、練習の成果を喜べるでしょう。
手ごたえを感じ、さらに練習を重ねていくでしょう。
結果だけを目指すのか、自分の成長を目指すのか
それは大きな違いです。
捉え方によって練習は苦でもあり、喜びにもなります。
空っぽになった私、何が出来るのか
自分の間違いに気づいた私は空虚になりました。
私はコーチにでもなったつもりで、
子供たちの勝利に自分の生きる意味を感じていたのです。
いまさら間違いに気づいた私に何が出来るのでしょう。
こんな私を子供たちは、どのように思っているのでしょう。
子供たちの人生の主役は、子供たち自身なのに。
では、私の役割とは何なのか。
私は再び生きる意味を問うのでした。