安心してセッションを受けていただくために

生きづらさや自分がわからないといった悩みや、人生についての迷い苦しみに対して行う個人セッションにおいて、受けて大丈夫なのだろうか。宗教への勧誘など心配になるかもしれません。私の記事の中にも仏教や僧侶に関しての記事もありますので、私自身の宗教観をお話しできたらと思います。

先ず、私は特定の宗教団体に属してはいません。仏教の記事はありますが、様々な宗派のお寺へ出掛けます。休日は良く神社を参拝しますが、特定の神社だけを崇拝することもありません。時には、修道院へ出かけることもあります。

これまでに、気功の先生のもとで気功について学んだことがあります。また、過去世瞑想に取り組んできたこともあります。それらすべてが、私に何ができるか、何でなら役に立てるか。つまり「何者かになりたい」という思いから取り組んできたものであり、私にとっては学びでした。

一人の僧侶に出会い「なぜ何者かにならなければならないのか」と問われ、私はそれまでの考え方「何者かにならなければならない」というものから解放されることが出来ました。私は僧侶と出会い、宗教へと入って行ったのではなく、逆に解き放たれたといっても良いです。

日々瞑想を行っているのも、囚われをなくすため。偏ってしまわないため、リセットするためです。実は気功で学んだことも、治そうとしないことでした。人を治したいとムキになればエゴにより力が入ります。何かをしたい思いからいかに離れるかが大切でした。過去世瞑想で大切なことも自らの解放です。何かを見たいと力が入っている状態では、瞑想にはなりません。

これまで学んできたことは、いかに囚われていた自分から解放されるかだったのです。それはある考え方に執着するものとは全く異なります。

私は僧侶だけでなく、神社の神職と話をすることもあります。一度も宗教活動に誘われたことなどありません。皆さんに共通していることは心に響く話をして下さることです。私はすべての宗教が、良いことを伝えようとしていると思っています。ただ有り難いと思う。それだけです。

では、なぜ今も神社仏閣へ出かけるのかと言えば、そこに自然があることも大きいです。川が流れ林があり、虫や鳥がいる。空気も澄んでいるように感じるからです。

お寺で仏像と向き合っていると、自分自身が仏様に見透かされているように感じてきます。見つめられている自分を感じ、今の自分を見つめ直す時間にしています。神社で参拝していますと、なぜか、また頑張ろうという気持ちになれます。なぜだかわかりませんが、「一歩踏み出すために背中を押していただいている」ように感じるのです。修道院でマリア様の像を見つめていたときは、ものすごくありがたい気持ちになれました。それらは宗教的なものというより自分にとっての癒しであり、学びです。

僧侶は確かに仏教者ですが、仏教の話をすることはほとんどありません。時に仏教由来の言葉を使われることはあっても、それは私にわかりやすい例えを用いるときだけです。神職の方も同様、神道について語られることなどありません。ただ気づきや学びとなることを私に与えてくれます。

私が仏教や僧侶の記事を書いていることで仏教に詳しいと思われたなら申し訳ないほどです。私が仏教について知っていることはほとんどありません。ただ、私は宗教に肯定的です。すべての宗教が、互いの表現を認め合い、尊重し合えたらと心から願っています。

HANEのセッションは、何かを加える場所ではありません。生きづらさや、自分がわからないという苦しさを、一緒に整理し、本来の自分へ還っていく時間です。宗教への勧誘や、特定の考え方を押しつけることは一切ありません。安心してお越しください。