【ペットとの別れ 立ち直れない】愛犬と過ごした日々から自分を知る

ある期間を一緒に過ごしてきたペットとの別れには、その人にしかわからないつらさや悲しみがあると思います。

ペットを飼い始めた理由も、一緒に過ごした日々の思い出も、別れたときに感じる気持ちも、人それぞれ違うでしょう。

私に、すべての人の思いがわかるとは言えません。それぞれに、それぞれの思いがあったはずです。

この記事では、私自身の体験を振り返ってみたいと思います。

犬を飼いたいと思った、あの頃

私が初めて犬を飼ってみたいと思ったのは、中学生の頃でした。

きっかけは、友人の影響です。

その友人が犬を飼い始めたとき、私も犬と一緒に過ごしてみたいと思いました。ただ単純に、かわいいと思ったから。それだけだったのかもしれません。友人が羨ましかったのかもしれません。

けれど、家族の反対もあり、私は犬を飼うことができませんでした。

そんな昔の思いが再び蘇ってきたのは、子どもたちが幼稚園に通うようになり、少し手が離れた頃でした。

「昔できなかったことを、今度こそ実現したい」

そんな思いが、犬を飼うきっかけになりました。

数ある犬種の中からビーグルを選び、子犬が我が家にやってきました。そのときの喜びは、今でもよく覚えています。

ペットと過ごす、もう一つの自分の時間

食事を与え、散歩に連れていく。

犬と過ごす時間は、家族と離れて過ごす時間でもありました。

そこには、夫としての自分でも、父親としての自分でもない私がいました。仕事のことも忘れることができました。

非日常というと大げさかもしれませんが、ペットがやってきたことで、それまでの日常とは違う自分になれる時間ができたのです。

仕事のことを考えず、家族のことからも少し離れ、ただ犬と過ごす。私にとって、それは特別な時間でした。

ペットと過ごす時間が、そうした特別なものになっているのは、私だけではないと思います。

ペットがいることで安らぎを感じる。 素直な自分に戻れる。 日常の忙しさを忘れられる。 気分転換になる。

ペットをかわいいと思うだけでなく、自分の気持ちを切り替えたり、普段とは違う自分でいられたりする。そんな存在になっていることもあるのではないでしょうか。

そして、そうした存在だからこそ、別れはつらいものになるのだと思います。

17年間一緒に過ごしたペットとの別れ

我が家に来たビーグルは、17年生きました。

そして、市の長寿犬表彰を受ける、ちょうどその日に亡くなりました。いただいた記念の表彰状に記されている日付が、あの子が旅立った日です。そのため、これからもその日を忘れることはないでしょう。

長い時間を一緒に過ごしてきました。いなくなって初めて気づくこともありました。

「私は、あの子に十分な愛情を注ぎ、心からかわいがっていたと言えるだろうか」

もちろん、かわいいと思っていました。一緒に過ごす時間を楽しんでもいました。

けれど、振り返ってみると、私のほうがペットから与えてもらっていたものが多かったように思います。

私は、犬と過ごす時間によって気分転換をしていました。仕事で感じるストレスや、日常生活の中で積み重なる疲れから、離れることができていました。

それなのに、自分がどれだけ愛情を注いでいたのかと考えると、十分だったとは言い切れない。そのことが、申し訳なく、心を痛めました。

私はペットに何を求めていたのか|与えられていたものと自分の姿

ペットを亡くした後、私は、あることに気づかされました。

表現が適切かどうかわかりませんが、私はペットとの時間を、「日常からの逃げ道」にしていたのではないか、ということです。

仕事や日常生活の中で募るストレスを和らげるために、犬を飼っていたのではないか。そんなことさえ考えました。

もちろん、犬を飼いたいと思った当初から、そんなつもりだったわけではありません。中学生の頃に抱いた、犬と一緒に過ごしてみたいという純粋な思いがありました。

けれど、いつしか私は、食事を与え、散歩に連れていき、育ててあげているという思いを持つようになっていたのだと思います。

「自分が世話をしているのだから、私に何かを与えてくれてもいいのではないか」

そんな気持ちが、心のどこかにあったのかもしれません。

犬と一緒に過ごすことで、私は安らぎを得ていました。気持ちを切り替えることができました。

けれど、その一方で、私は犬に何をしてあげられていたのだろう。そう考えたとき、申し訳なさとともに、自分自身の姿が見えてきたのです。

犬を飼いたいと思っていた頃の純粋な思いは、どこへ行ってしまったのだろう。いつしか私は、ペットから何かを与えてもらうことを期待するようになっていたのかもしれません。

自分の都合で飼っていたと言われれば、そうした面もあったのだと思います。

大切に思っていたことと、自分がそこから何かを得ようとしていたこと。その両方が、自分の中にあったのだと思います。

ペットの前にいる自分は、どんな自分だったのか

私は、犬との別れを通して、自分がペットに見せていた姿についても考えるようになりました。

仕事をしている自分。 家族と過ごしている自分。 友人といる自分。 そして、ペットと過ごしている自分。

その場面ごとに、私は違う自分として生きていました。それぞれの場面で、自分の役割や振る舞いが変わります。

夫として、父親として、仕事をする人間として。その役割を果たすために、考えたり、気を遣ったり、責任を引き受けたりしています。

けれど、犬と過ごしているときには、そうした役割から少し離れることができました。仕事のことを考えず、家族の中での自分を意識せず、ただ犬と一緒にいる。そこには、普段とは違う自分がいました。

「ペットの前では、素直な自分でいられる」 「自分の本音を出せる」

そんなふうに感じている人もいるのではないでしょうか。もしかすると、ペットと過ごしているときの自分に、本来の自分を感じることもあるのかもしれません。

ただ、私が今思うのは、ペットの前にいる自分だけが、本来の自分だということではありません。

仕事をしている自分も、家族と過ごしている自分も、ペットと過ごしている自分も、すべて自分です。

別れを通して、これからの自分を生きる「本来の自分へ還る」

ペットとの別れは、悲しいものです。

もっと一緒にいたかった。もっと何かをしてあげられたのではないか。そんな思いが残ることもあるでしょう。私にも、申し訳なさがあります。

けれど、あの子と過ごした日々があったからこそ、自分が何を求め、どのように生きていたのかを振り返ることができました。

自分が癒やされることを求めていた一方で、相手にどれだけのものを与えられていたのか。自分にとって都合のよい関係になっていなかっただろうか。そうしたことに気づかせてもらいました。

もちろん、今になって過去をやり直すことはできません。けれど、一緒に過ごした時間から学んだことを、これからの自分に生かしていくことはできます。

ペットと過ごした時間は、私にとって、ただ楽しく、癒やされるだけの時間ではありませんでした。自分自身を振り返るきっかけにもなりました。

そして今、あの子と過ごした日々や、そこから学ばせてもらったことを、これからの生き方につなげていこうと思っています。

HANEが掲げている「本来の自分へ還る」ということ。

それは、何か新しい自分になることではなく、日々の役割や思い込みの中にいる自分を見つめ直し、自分自身を知っていくことでもあると思います。

ペットと過ごしていたとき、私はどんな自分だったのか。あの子に何を求め、何を与えてもらっていたのか。そして、これからの自分は、何を大切にして生きていきたいのか。

ペットとの別れは、私にそんな問いを残してくれました。

一緒に過ごした日々を思い返すことは、あの子を懐かしむだけでなく、自分自身を見つめ直すことにもつながっているのだと思います。

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