人生を楽しめないとき、自分の喜びについて考えてみる

考え事や悩み事が多く、ついイライラしたり、カリカリしたり、人生が楽しめなないことがあります。

そんなとき、「せっかくの人生なのだから、楽しく生きましょう」と言われることがあります。

そこで、何か楽しめそうなことを探して、実際にやってみる。そのときは気が紛れます。楽しい時間を過ごすこともできます。

けれど、終わってみると、なんだかすっきりしない。一時的に気持ちを紛らわせても、考え事や悩み事がなくなったわけではありません。結局、同じことを考え続けてしまいます。

私は、自分にとっての「喜び」とは何なのかを考えてみることが、自分自身を知ることにつながるのではないかと思っています。

楽しさと喜びの違い

誰かと一緒にいて会話が弾む。ゲームをしている。興味のある動画を見ている。

そんなとき、私たちは「楽しい」と感じます。それは、もちろん大切な時間です。

ただ、ここで私が考えている「喜び」は、そうした楽しさとは少し違います。

楽しさが外からの刺激や出来事によって生まれる心の動きだとしたら、喜びは自分の内側から湧き上がってくるものです。

何かをして楽しかったと思うときと、何かをして喜びを感じたと思うとき。その二つには、違いがあるように思います。

楽しい時間は、過ぎていきます。

けれど、喜びを感じた出来事は、時間がたっても自分の中に残っていきます。

ふと思い出したとき、「あのときは本当によかった」と思える。その出来事を通して、自分が何かを大切にしていたことや、自分なりに精いっぱい取り組んでいたことに気づく。

私が考える喜びには、そうしたところがあります。

悲しみの中にも、喜びはある

喜びは、必ずしも「楽しい出来事」から生まれるものではありません。

例えば、長年にわたって世話をし続けた人との別れ。

大きな悲しみがあるでしょう。「もっと一緒にいたかった」「できることなら、別れたくなかった」そんな思いがあっても不思議ではありません。

けれど、その悲しみの中で、「最後まで一緒にいられてよかった」と感じることもあるのではないでしょうか。

別れが悲しくなくなるわけではありません。悲しみが喜びに変わるということでもありません。

悲しみの中に、それでも確かに感じられる喜びがあるのです。

その人と過ごした時間。自分にできることをしてきた時間。最後まで一緒にいられたという思い。そこには、単に「楽しかった」という言葉だけでは表せないものがあります。

私は、そうしたところに、喜びというものがあるように思います。

逆上がりができたときの喜び|結果だけでなくプロセスにある価値

子どもの頃、逆上がりができなくて、何度も何度も練習した記憶があります。

手は痛い。何度やってもうまくいかない。なぜできないのだろうと、悔しい思いをしました。

それでも練習を続け、ようやく逆上がりができたとき。両手はずきずきと痛んでいました。決して、楽な経験ではありませんでした。

けれど、そこには大きな喜びがありました。

できなかったことが、できるようになった。その達成感も、もちろんあったでしょう。

でも、今振り返ってみると、私が感じていたのは、逆上がりができたことへの嬉しさだけではなかったように思います。

できるようになるまで、何度も挑戦したこと。悔しくても、あきらめずに練習したこと。自分なりに努力を続けられたこと。

そうした自分の行動そのものにも、喜びを感じていたのではないでしょうか。

結果だけではなく、そこに至るまでの自分の姿にも、喜びがあったのだと思います。

喜びの中に、生きがいが見えてくる

夢中になれること。頑張り続けられること。自分にできる限りのことをしてみようと思えること。

そこには、喜びがあります。そして、その喜びの中に、生きがいのようなものが見えてくるのではないでしょうか。

人の看病をすることそのものが、生きがいだということではありません。逆上がりができるようになることそのものが、生きがいだということではありません。

大切なのは、その行動を通して、自分が何を感じていたのかということです。

誰かのために、自分にできることを精いっぱいする。できないことに、何度も挑戦する。自分が持っている力を、できる限り発揮してみる。

そうした行動の中に、自分にとっての喜びがあるのではないでしょうか。

そして、自分が何に喜びを感じるのかを知ることは、自分が何を大切にしているのかを知ることにもつながります。

そこから、自分にとっての生きがいが見えてくるのだと思います。

自分が喜びを感じた出来事を振り返る

楽しさは、過ぎ去っていきます。けれど、喜びを感じた記憶は、自分の中に残っていきます。

誰の中にも、そうした喜びの記憶があるのではないでしょうか。

幼い頃のことでも構いません。学生時代のことでも、仕事をしていたときのことでも構いません。

これまでの人生を振り返ってみてください。

自分が喜びを感じたのは、どんなときだったでしょうか。何をしているときに、喜びが湧き上がってきたでしょうか。

そして、その出来事の、どこに喜びを感じていたのでしょうか。

結果を出せたことなのか。誰かと一緒に取り組めたことなのか。誰かの役に立てたことなのか。それとも、自分の力を精いっぱい発揮できたことなのか。

同じ出来事であっても、喜びを感じた理由は、人によって違うはずです。

その出来事を振り返り、自分が何に喜びを感じていたのかを考えてみる。そこに、自分の生きがいを見つけるヒントがあるのではないでしょうか。

私にとっての喜び

私の場合、教員時代に、学生と一緒に作り上げた企画を形にできたときに喜びを感じました。

我が子と一緒に練習を重ね、その成果が実を結んだときにも、喜びがありました。

そして、自分が作った陶器を使ってくれる人ができたときにも、喜びを感じました。

こうして振り返ってみると、それらの私の喜びには、必ず誰かがそこにいました。

学生と一緒に取り組むこと。我が子と一緒に努力すること。自分が作ったものを、誰かが使ってくれること。

そこには、人とのつながりがありました。

誰かと一緒に何かを作り上げること。自分ができることを通して、誰かに喜んでもらうこと。人の喜びが、私自身の喜びでもあったのだと思います。

そして、そこに自分の生きがいを感じるからこそ、今、HANEという活動をしているのだと思います。

あなたにとっての喜びは何でしょうか

人生を楽しもうとしても、なかなかすっきりしない。何かをしている間は気が紛れても、また考え事や悩み事に戻ってしまう。

そんなとき、無理に楽しめることを探すのではなく、一度立ち止まって、自分がこれまでに感じてきた喜びを振り返ってみてもよいのではないでしょうか。

あなたにとって、心の底から喜びが湧き上がってきたのは、どんなときだったでしょう。

これまでに、喜びを感じたのはどんな出来事だったでしょう。

そして、その出来事の奥に、あなたが大切にしているものは何があったのでしょうか。

そこに、自分が何を大切にして生きているのかが見えてくるかもしれません。

自分が何に喜びを感じるのかを知ること。それは、自分自身を知ることにつながります。

そして、自分にとっての喜びを知ることは、自分にとっての生きがいや、本来の自分を見つめ直すことにもつながっていくのだと思います。

表面的な楽しさを追い求めるだけではなく、その奥にある、自分の内側から湧き上がる喜びに目を向けてみる。

それもまた、HANEが掲げている「本来のあなたへ還る」ということなのです。

この記事から「もう少し知ってみたい」と思っていただいた方へ

・私が「本来の自分へ還る」という生き方に至るまでの歩みはこちら
▶ HANEの理念・想い

・セッションで何が起きるのか、初めての方へのご案内はこちら
▶ HANEの利用案内

・「自分がわからない」という心の迷路について、こちらの記事で詳しくまとめています。
▶ 【自分がわからない 生きづらい】心の迷路を抜け出す生き方の総まとめ

コメント

タイトルとURLをコピーしました