生きづらさを感じてしまう。その原因の一つは、自分が「正しい」と思い込んでいることに気づけないまま生きていることにあるのかもしれません。
自分にとっての当たり前や常識が、実は社会にとっての当たり前でも常識でもなかったり、正しいと思い込んでいたことが、とても無理のあることだったりする。実は、自分のことであるにもかかわらず、自分がよく分からなくなっているのかもしれません。
自分のことは自分が一番よく知っているはずです。生まれてから今日まで、私はずっとこの私を生きてきました。誰よりも自分のことを知っているはずなのに、実はそうでもない。そんな「思い込み」が続いてしまっていることがあります。
だからこそ人生には、「気づく」瞬間が訪れるのだと思います。
誰かに指摘されて気づいたり、他人の言動を見ているうちに気づいたりすることがあるものです。
私にとっての当たり前は当たり前です。私にとっての常識は常識です。
しかしあるとき、「本当にそうなのだろうか」と疑問に思うことがあります。
正しいと信じてきたことが、実はそうではなかった。私の場合は、こんな経験がありました。
私は知らないうちに、間違いを犯し続けてきていたのです。
盲目の正しさ|なぜ「自分の正しさを押し付ける」状態になってしまうのか
私はかつて、スポーツに取り組む子供たちに、勝利を求め続けていました。
勝利という結果にこだわることが、技術面でも精神面でも成長につながる。勝つことでしか味わえない勝者の気持ちがある。勝つことで、大きな大会へ進むことで見える世界がある。それを子供たちには味わってほしい。
どんな大会でも優勝を目指し、最後まで努力する。それがスポーツマンの姿勢だと信じ疑いませんでした。日々の練習は勝つためのもの。前回の試合で負けた原因を反省し、欠点を補えば次は勝てる。
スポーツを続ける以上、勝つために努力するのは当たり前だと思っていました。
綺麗事の裏側|「正しいと思い込んでいること」が子供を追い詰めた経験
しかし、私が本当に手に入れたかったものは何だったのでしょうか。私が抱いていた思いは綺麗ごとに過ぎないのではないか。本当の私は何を手にしたかったのだろうか。
気がつくと、子供は身体を壊していました。
始めた頃はあんなに楽しそうだったのに、「もっと真剣にやれ」「笑っている場合か」「気持ちが足りない」私はそう言って、必死さばかりを求めていました。その結果、私は子供を身体の痛みに苦しむ状態へと追い込んでしまったのです。
根性論からの脱却|結果へのこだわりを手放した先にある本当の成長とは
スポーツにおける成長とは何だったのでしょう。やるからには勝利を目指す。勝つことが成長。それが当たり前だと思っていました。しかし本当にそうだったのでしょうか。
欠点を補う練習よりも、長所を伸ばす練習の方が大切だったのではないか。勝利だけを目標にするのではなく、違う目標の持ち方もあったのではないかと思うようになりました。
例えば、挑戦してみたい技術がある。そのために練習し、試合で使ってみる。もしそれが出来たなら、目の前の試合結果よりももっと大きな成果や喜びを感じられるのではないでしょうか。
勝つために頑張る。では、勝ったらどうなるのでしょう。そこでやり切ったと感じ、燃え尽きてしまうかもしれません。
しかし、自分が取り組んできた技術の発揮を楽しみにしていたなら、その技術を試合の中でも発揮することができたなら、人はまた次の挑戦を求めます。目の前の勝利ではなく、身につけたい技術のための努力。その方が、人は長く成長していけるのかもしれません。
私は、勝つことにこだわることで精神的に強くなれるとも思っていました。しかしそれは、一歩間違えば、ただの根性論です。
勝ちたいと思う気持ちは、親が子供に強いるものではありません。本来それは、本人の中から生まれてくるものだったのではないでしょうか。その思いが育つのを、私は待つことができませんでした。
譲れない正しさを疑うことで、自分も周囲も救われて楽になる
私は子供に、「スポーツマンとはこうあるべきだ」という姿を押し付けていました。
それに従うしかなかった子供は、きっと自分を見失っていったでしょう。そして私自身もまた、思い込みの中で大切なことを見失っていました。
子供は身体の痛みに苦しみ、勝利は喜びではなくただホッとするだけのものになっていたと思います。負ければ、期待に応えられなかった苦しさを感じていたでしょう。
私もまた、「なぜ勝てないのか」「なぜ勝たせてあげられないのか」と、自分の無力さに苦しんでいました。
私の思い込みは、私だけではなく、子供たちまで苦しめていました。そして気づかされたのです。
家族全員を苦しめていたのは、私自身の思い込みだったのだと。
自分では気づけないことが、問題をさらに大きくしていきます。「私は正しい」「これだけは譲れない」、そんなものがある。でも、それは本当に正しいのでしょうか。
私は子供を巻き込み続け、子供の身体を壊してもなお、自分の考えにしがみつきそうになっていました。しかし、忠告し続けてくれる人がいたことで、初めて自分にとっての「正しさ」を疑うことができたのです。
自分の中にある正しさや思い込みは、時に大切な人を苦しめ、また、自分自身をも苦しめてしまいます。その正しさを手放したとき、初めて心が楽になれる。そんなこともあるのではないでしょうか。
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