自分を見失っていく原因の一つに、「人からどのように見られているか」「周囲の評価」を気にしすぎるあまり、その評価こそが自分自身だと思い込んでしまうことがあります。
しかし、自分では「他人の評価のために生きている」という自覚は意外とないものです。なぜなら、評価されようと意識して動いているわけではなく、「自分という存在の基準」が完全に他人の評価にすり替わってしまっているからです。
それはどういうことなのか、私の場合を例に挙げてみたいと思います。
【体験談】評価基準のすり替わり|「他人の評価が気になる」と感じる心の原因
幼い頃の記憶はあまり残っていませんが、両親が営む店に来たお客様に対して「この人禿げてるね」と言ってしまい、叱られたことはよく覚えています。
自営業を営む両親にとって、お客様に失礼があってはなりません。
「自分が言ったことを人はどう思うのか、よく考えてから発言しなさい」と、強く求められました。
自分の発言という「原因」があり、相手がどう思うかという「結果」が出る。その結果を想像し、悪い原因を作らないように気をつける習慣は、そうした幼少期の環境から身に付いたのだと思います。
また学校に上がると、テストで良い点数を取ることが求められ、毎日勉強するのは当たり前でした。
点数が悪ければ叱られます。良い点数を取るのが当たり前。その「結果」のために勉強するのも当たり前です。いつしか私は、「結果のためにどうするか」を常に考える子供になっていました。
もちろん、親から受けた影響がすべてではありません。私自身が持って生まれた資質もあったでしょうし、学校での体験や経験も、私の結果に対する執着を強くしたのだと思います。
「求められる結果を出すことこそが、私という人間の価値である」
人間関係なら、相手がどう思うかが大切。何かをするときは、良い結果を出すことが大切。テストで良い点数を出すように、「どうすれば相手から求められる結果になるか」を考えることが、私のすべきことであり、それが私自身になっていました。
いつしか誰からも求められていなくても、すべての場所において、何かを求められているように感じるようになっていました。よく考え、良い結果を出すことが私にとっての当たり前になり、そういう生き方しかできなくなっていたのです。
目的のない目標|周囲の目を気にして「求められる結果」だけを追う罠
理想を掲げること、目標を持つこと、そして結果のために何をするか考えること。
それ自体は悪いことではないでしょう。
しかし、「何のためにその理想があるのか」「その目標は本当に自分の目標といえるのか」という部分を、私は誤ってきたのではないかと思います。
目標とは、本来「目的」を達成するために設けた目当て、目印です。その時々の結果を得ているだけでは目的が何なのかわかりません。
私にはどんな目的があり、どのような目標があったのだろう。何もないにもかかわらず、ただ「目の前の結果」だけのために努力していたのではないか。
ただその時々を無難に過ごすのが目標。その目的は、人からの評価を得ること。そんな考え方は、どこか間違っていたと思います。
人の顔色を伺いながら生きる。人のする評価のために生きる。それが私の生きる意味なのか、私はどういう生き方をしたかったのか、
親や、先生に気に入られるためだったのか。友人や周囲の人に褒められることだったのか。学年が変わり新しい先生に変わったなら、その先生に気にいられる態度をとろうとする。それが昔の私だったのです。
評価を得られないと不安になってしまいます。自分のしたことに対し、自分では納得できないのです。たとえそれが自分で掲げた目標であっても、自分が良くやっているのか、まだまだ足りないのかを、人に評価されて初めて「間違っていなかった、できているのだ」とホッとできる状態でした。
自分を見失う悪循環|他人の評価に縛られ顔色や機嫌に振り回される理由
結果のために生きていると自分がわかりません。ただ、その時々を良い結果を出すために生きているのです。
人と会えば、その人の機嫌を損ねないように、やらなければならないことは、良い結果を出すことだけ。仕事をしていても、お金を稼ぐために。それが私の価値だと思い込んでいったのです。
他人の評価ではなく、基準を自分に戻す。それはいつからでも遅くない
自分を見失い、自分らしささえ分かっていなかったと気づいたのは、ずいぶん年齢を重ねてからでした。
「何かモヤモヤしている」
「常に人の目が気になる」
「ずっと違和感を覚えながら生きている」
その原因が、自分自身の考え方や価値観にあるとは、当時の私は思いもしませんでした。私自身は何も間違っていないと思い込んでいたのです。
自分が自分を評価する基準が、常に相手にある。自分以外の誰かにある。自分にはどうすることもできない「他人の評価」が、私の価値を決めてしまう。そんな歪んだ価値観は、本来の私のものではありませんでした。
私は今でも、つい結果が気になってしまうことがあります。ただ、「結果を出さなくてはいけない」「結果がすべて、評価こそが私だ」と思い詰めて苦しくなる必要は、もうなくなりました。
絡まった思考を整理して、その苦しい思考から解放されていくことは、いつからでも、何歳からでも始めることができます。
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