このままの自分ではいけない
私が「何者かになりたい」
と思うようになった一番の原因は、
「このままの自分ではダメだ」
と思っていたことでした。
自ら志を持って飛び込んだ教員という仕事にも、
私は満足できませんでした。
その後、「今度こそ自分の力で人生を切り開きたい」
と父の事業を継ぎましたが、
そこでも十分な成果を出せたとは思えませんでした。
さらに私は、スポーツに取り組む子どもたちに対して、
まるでコーチのように関わるようになっていきます。
子どもたちが結果を出していく姿を見ながら、
どこかで私は、その成果を自分のことのように感じていました。
子どもたちを導こうとしていた私
私はいつしか、指導者でもないのに、
まるで子どもの「専属コーチ」にでもなったかのように
振る舞っていました。
順調に戦績を上げていく子どもたちを見ながら、
私はそれを「自分の手柄」のようにすり替え、
歪んだ満足感を得ていたのです。
厳しさを増していく私の言動。
そんなプレッシャーのせいか、
やがて子どもたちは不調に陥っていきました。
それでも私は、「今度こそ失敗したくない」
という思いに囚われていました。
私がこの子たちを導かなければならない。
中途半端には終わらせたくない。
そんな思いが強くなっていったのです。
しかし、ある時、私は気づいてしまいました。
自分の言葉が、子どもたちに届いていないことに。
それでも諦めたくありませんでした。
私はコーチングを学び、質問の仕方を学び、
話し方や伝え方を変えようとしました。
けれど今振り返ると、
それは“伝える技術”を身につけようとしていた
だけだったのだと思います。
子どもたちは、そんな私を見透かしているようでした。
ある時、私の言葉が彼らには届いていないことに、気づいたのです。
私は何をしてきたのだろう
自分のこれまでを振り返った時、
私は大きな虚しさを感じました。
学生のためと言いながら、
本当に学生のために働いていただろうか。
事業を大きくしたいと言いながら、
本当に誰かのために仕事をしていただろうか。
そして今度は、大切な自分の子どもたちまで
苦しめてしまっているのではないか。
大きな志や理想だけはありました。
けれど、何一つ満足できる結果を残せていないのではないか。
そんな思いが、私の中に積み重なっていったのです。
ある時、自分自身に目を向けてみると、
「私は一体、何をしてきたのだろう」
と思うことばかりでした。
自分を変えなければならない
せめて残された子育てだけは、後悔したくない。
そのためには、まず
自分が変わらなければならないと思いました。
これまで、自分が正しいと信じた考えを
押し付けてきたのではないか。
このままの生き方ではいけない。
何かを変えなければならない。
そうして私は、「自分を変える」
ということに強く執着していきます。
そしていつしか、
「何者かにならなければならない」
と思うようになっていったのです。
何者かになることで、人生をやり直したい。
私は、自分を変えるために、
さまざまなものを求めるようになりました。
その一つが、気功との出会いでした。
紹介を通して知り合った気功師の先生の存在は、
私にとってとても魅力的でした。
人の苦しみに寄り添い、癒していく姿。そこに私は、
「自分も誰かの役に立てる人間になりたい」
という希望を重ねていたのだと思います。
教育者としても、経営者としても、親としても、
自分は何も残せていないのではないか。
そう感じていた私にとって “人を救える存在”は、
とても大きな意味を持っていました。
しかし同時に、
「今度こそ結果を出さなければならない」
という焦りも強くなっていきました。
すると、また自信を失っていくのです。
仏教に、自分を変える答えを求めた
そんな自分を変えたいと思い、私は仏教を学び始めました。
信仰することによって救われたいというより、
「仏教を学べば、自分を変えられるのではないか」
と思ったのです。
私が手にした原始仏教の本には、
自分を変えていくための魅力的な言葉が並んでいました。
私はその言葉に惹かれていきました。
けれど今振り返ると、私が求めていた
「何者かになる」ということは、
“本来の自分を取り戻す”
ことではありませんでした。
満足できない自分。
成果を出せなかった自分。
認められない自分。
そんな自分を否定し、
「別の誰か」になろうとしていたのです。
やがて私は、一人の僧侶と出会います。
その人は、私の内側を見透かしているようでした。
私は、「誰かのため」と言いながら、
本当は自分を認めたかっただけなのではないか。
「何者かになりたい」と願いながら、
今の自分を否定し続けていたのではないか。
その出会いを通して、
私は自分の間違いに気づかされていくことになります。
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