「もっと努力できるのではないか」 「なぜもっと考えなかったのか」
約束を忘れてしまった、寝過ごしてしまった。そんなふがいない自分に腹が立つこともあります。
わかっているはずなのに繰り返してしまう。自分のことだからこそ過去の失敗が忘れられず、同じことを繰り返してしまう自分が許せない。
そんな思いに苛まれてはいないでしょうか。
高すぎるハードル|自分が自分を許せない原因となる「無意識の基準」と自己評価
自分が自分を許せないと思えてしまうのは、自分の中に何かしらの基準を設けてしまっているからではないでしょうか。
何をするにも自分なりの及第点を定め、それを超えられたかどうか、常に比較してしまう。「もっとできる、もっと頑張らなければならない」と思っているのなら、自分が自分に対して求める点数は高くなっていきます。できて当たり前と思っていれば、出来ない自分がふがいなく思えます。
また、人の評価が気になって仕方ないのかもしれません。人が何を求めているか、つい顔色を伺ってしまう。悪い評価を受けたくない、きっと人はこう思っているに違いないなどと、勝手な評価を作り出してしまう人もいるのではないでしょうか。
しかし、実際には自分の想像と周囲の評価はまったく違うこともあると思います。
自分が自分を評価する。まじめに生きている人ほど、自分に求めるものは高くなってしまいます。また、自己否定感の強い人なら、どんな自分であろうと満足できないでしょう。
「そんなに自分に厳しくしなくてもいいではないですか」「もっと楽に生きればいい」と言われても、自分を許せない人にとって、自分に厳しくしているつもりもないでしょう。当たり前と思うからこそ、自分に腹を立ててしまいます。
努力と結果の誤解|「1+1=2」にならない現実と、自力主義の限界
「結果は自分次第だ」という考え方があるのではないでしょうか。
自分が何をするかによって結果は変わる。頑張って努力すること、自分に無理を課すことで、初めて良い結果になると思ってしまう。満足のいく努力があって初めて望む結果が手に入ると信じているなら、何に対しても手が抜けません。
しかし、結果が思うようになるとは限りません。だから手を抜くことなく、真剣に、真面目に取り組まなければならないと思うのでしょう。
確かに良い原因があれば、良い結果が出そうです。しかし、実際には必ずしもそうだとはいえません。「1+1=2」になれば良いのですが、実際には「1+1=1」になってしまうかもしれません。必ずしも努力が実るとはいえません。
視点の転換|結果は自分が決めるものではない。「必要なことが起きている」という捉え方
私は、「必要な結果」が出ると思っています。それは必ずしも望んだものではありません。
結果は誰にも決められません。なるようにしかならない。だからといって、努力することを否定しているのではありません。したいことはすればいいと思いますし、納得できるまでやり続けてもいいと思います。
しかし、結果のためではなく、やりたいことをやりたいだけする。結果がどうなるかは自分が決めることではないとわかっているのなら、結果を出すための「条件付きの努力」ではなくなります。
どのような結果が出ようと、自分を責める必要はないと思います。どのような結果もすべて必要なものと知っていれば、素直に受け入れられるのではないでしょうか。
結果は自分の努力次第で出るものではありません。どれだけ無理をしたかによって、良い結果が出るというものでもありません。この先、何が起こるかなど何も作り出すことは出来ません。しかし、どのような結果も自分のために必要なことが起こると楽しみにしていく。
何も期待しなければ、がっかりすることもありません。常に「これで良い」と思えたなら楽になれます。
良い悪いの判断を手放す。自分を責める必要も、許す必要もない境地へ
自分を評価してしまう習慣を引き算し、なくしていくことができたなら、結果に対して一喜一憂することもないでしょう。
自分一人の力ではありません。様々なことが重なって、結果は出ます。その結果は捉えようによって、どのような解釈を付けることもできます。
良いか悪いかではありません。良い、悪いの判断が自分自身を苦しめてしまいます。
ただ、必要なことが起きた。それに対して対応するだけであれば、自分を責める必要も、許す必要もありません。
がその結果を作ったのは自分一人の力ではないのですから。
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