私たちは思考します。そして、思考し続けます。
自分を守るために。 批判されないように。 騙されないように。 不安にならないように。 一人にならないように。 仲間外れにならないように。 失敗しないように。 同じ過ちを繰り返さないように。 失望しないように。 あきらめてしまわないように。 攻撃されないように。 見破られないように。 やる気をなくさないように。 悲しくならないように。 つらくならないように……。
私たちは、自分を守らなければならない。より良く生きるために。今日も、これからも生きていくために。
そのために、さまざまなことを考えます。
社会の中で、さまざまな人とかかわりながら、自分が揺らいでしまわないように。自分を見失ってしまわないように。自分の中に入ってくるものを、よく見張っていなければならない。
私は、私自身からも、私を守らなければならない。
さまざまなことを考え、ときには迷い、苦しくなる。「こんな自分で大丈夫なのだろうか」と、自分で作り出してしまった不安からも、自分を守らなければなりません。
「考える力」こそが自分を守ると信じていた
インターネット、SNSやAIの普及によって、私たちの周りにある情報は増える一方です。それらを上手く利用しながら、賢く生きていきたいと思います。
私たちは、考えることを学んできました。言葉を覚え、その言葉を巧みに操りながら、さまざまなことを考えてきました。
考える力を身につけるために学んできたのです。どれだけ考えられるか。人とは違う考え方ができるか。それも大切なことでした。
私も、「私」という人間について考えながら、自分を成長させてきました。
私であるために。私らしくあるために。他の誰とも違う個性を持つために。
その自分を生かすためには、どうすればよいのか。
学校の中での自分。社会に出れば、どのような仕事に就くとよいのか。自分の役割を果たすために、何ができるのか。
家族ができれば、親として子どもたちをどのように育てていけばよいのかを考えます。子どもたちにも、自分の考えを持ち、考えて生きていけるように導かなければならない。やがて、自立していけるように。
何をどのように捉え、どう考えるのか。考えることが大切。どれだけ考えられるか。
正解などわからない人生において、考えることこそが、より良い人生を作り出す。考えることが自分を守り、より良い生活をもたらす。
私は、そう信じて疑いませんでした。
もっと考えれば答えが見つかるという「思考のループ」
しかし、いつしか私は、苦しい自分に気づいてしまいます。
より良く生きようとしてきたつもりなのに。自分自身に迷い、悩み、真剣に考えてきたにもかかわらず、自分を見失っているのでした。
一生懸命考えてきたのに、考え方が悪かったのでしょうか。まだまだ考えが足りないのでしょうか。
どこで、何が、どのように間違ってしまったのか。私が望むものとは何なのか。
もう一度、自分を見つめ直します。そして、どのような考え方をすればよいのかを考えます。
考えることで、何かが生まれるはずです。考えることで、何かわかるはずです。
困ったら考える。つまずいたら考える。悩んだら考える。考えることが必要だと思っていました。上手くいかないのは、考えが足りないからなのだ。そう思って、私は考え続けてきました。
考えてきたけれど、迷い、悩み、苦しい。だから、もっと考えなければならない。
それが私にとっての当たり前でした。それしか、解決する方法を知りませんでした。ずっと、そうしてきたのです。
「考えることが正しい」という前提そのものの罠
その考え方自体が問題だなどとは思いませんでした。考えることでしか、答えは出せない。そう信じていたのです。
考えることができるのだから、もっと深く、もっと強く考えるために知識を身につける。足りない情報があるに違いない。情報を集めて、もっと考えよう。
もし自分の考え方が間違っているのなら、人はどのように考えているのか。私とは違う考え方も、参考にすべきではないでしょうか。
そうやって、さらに考えます。
しかし、どれだけ考えても、知識を集めても、別の考え方を取り入れようとしても、抜け出せません。迷いの中を彷徨っているような感覚がありました。
抜け出せる方法は、きっとある。そう思うのに、その方法がどう考えてみてもわからないのです。
正解を求めることで、見えなくなってしまうもの
考えることの正しさを、私は疑いもしませんでした。
人は考えることで自分を作る。考えることで自分らしくなる。考えることで乗り越えられる。考えることで、自分を守ることもできる。
それらは、私が身につけてきた価値観でした。考えないなど、堕落していくのではないか。そんな思いさえありました。
もちろん、考えることで得てきたものはあります。しかし、考えることで失ってきたものもあるのではないでしょうか。
「こうあるべき」という何かしらの正しさを、自分で考え出してきたことは、本当に良かったのでしょうか。
私が思う正しさに向かっていったこと。そして、子どもたちにもそれを求めたこと。それは、それ以外の在り方を否定することにもなります。
自分が思う正しさがあるということは、それ以外は正しくないということです。否定すれば、受け入れることはありません。
もし、自分が思う正しさが間違っていたとしても、その考えに向かって突き進むしかなくなってしまいます。そして、自分が思う「間違った正しさ」に気づいたときには、もう取り返すことが難しくなっていることもあるのです。
正解などないにもかかわらず、正解を求める。正しいと決めつければ、その考え方から抜け出せなくなります。
誰かから指摘を受けたとしても、簡単には受け入れられません。なぜなら、自分は考えて、考えて、考え抜いた末に、「正しいであろう答え」に向かっているからです。
自分が間違っていると自覚できるまで、止まることができません。
自分を守るために作った壁
自分を守るために考える。考えることで、自分を守ってきたつもりでした。
けれど、その一方で、頑なな自分を作ってきたのも事実です。ある意味では、見えない壁のようなものを、自分で作ってきたのかもしれません。
自分を守るために考えてきたはずなのに、その「守り方」によって、外から入ってくるものを閉ざしてしまう。そして、自分自身さえも、その壁の内側に閉じ込めてしまう。
そんなことが、あるのかもしれません。
考えることは、私たちに多くのものを与えてくれました。知識を与え、判断する力を与え、自分を守る力にもなりました。
けれど、考えることだけでは、見つからないものもある。正解を探し続けることだけでは、たどり着けないものもある。
考え続けてきたことは、正しかったのでしょうか。
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