私の考えは本当に私のものなのか|「私」とは何なのかを考える

私が話している言葉は、私の言葉なのだろうか。

私の考え方は、私が作り出したものなのだろうか。

私が今もこうして生きているのは、私一人の力によるものなのだろうか。

「私は私を生きている。私の力で生きてきた。私は自分で何でも考えてきた。私には私の考え方があり、私は自分の思いを言葉にしている。これからも生きていく。そのためには、自分の力で人生を切り開いていかなければならない。学び、成長し続けなければならない。私は私である」

本当に、そうなのだろうか。

私は、どうやって言葉を話せるようになったのか

言葉は、どのようにして話せるようになったのでしょう。

フリードリヒ2世が行ったとされる、こんな実験の逸話があります。

「誰からも話しかけられず、言葉を学習しなかった赤ちゃんは、どんな言葉を発するのか」

ミルクを与え、おむつを交換する以外、何のコミュニケーションも取られなかった子どもたちは、言葉を発するかどうか以前に、亡くなってしまったと言われています。

この実験が本当に行われたのか、その内容が事実なのかはわかりません。

しかし、私が言葉を話せるようになったのは、私に話しかけ、世話をしてくれた人たちがいたからです。

誰からも言葉を教えられなければ、私は話すことができなかったでしょう。文字を学ぶことがなければ、私は字を読めるようにはなりませんでした。

言葉を何も知らなかったら、私は自分の感情をどのように表すのでしょう。どうやって物事を考えるのでしょう。そもそも、「考える」ということ自体を知ることができるのでしょうか。

私が何かを考えているとき、頭の中では言葉を使っています。その言葉を何も知らなかったとしたら、私はどうやって考え事をするのでしょう。

「私の考え方」はどこから来たのか

私は言葉を話すことができるようになりました。文字を読むことも、書くこともできます。言葉を使って、考え事をすることもできます。

では、その考え方は本当に私独自のものなのでしょうか。

私には、物事の捉え方、受け取り方、受け入れ方に、私なりの癖のようなものがあります。

その一部は、親から影響を受けているように思います。これまで学んできたことからも、影響を受けています。出会ってきた人たちからも、影響を受けているでしょう。

私が「自分の考え方」と呼んでいるものを、もっと深く見ていったなら、それは本当に私だけの考え方だとは言えなくなるのかもしれません。

誰かの考え方に影響されている。誰かの考え方を真似している。そう言ってもいいのかもしれません。

もし、私が違う教育を受けていたら。もし、違う人たちと出会ってきたら。きっと、考え方は違っていたでしょう。

考え方だけではありません。もしかすると、私は別の「私」になっていたのではないでしょうか。

「私」という存在は、無数の関わりからできている

私は、言葉を覚えながら、言葉だけではない多くのものを受け取ってきました。

保育園、小学校、中学校へと進む中で、たくさんのことを学んできました。それは教科として学んだ知識だけではありません。情報だけでもありません。

先生から、クラスメイトから、家族から。集団生活の中で協調することを学び、人との関わり方を学び、人間関係を築いてきました。そうした関わりの中で、私の感情も育ってきたのです。

この「私」というものは、私一人で作ったものではありません。

多くの人との関わり、多くの経験、多くの学び。その積み重ねによって、今の私があります。

今こうして私が書いていること。私が誰かに話していること。それを、本当に「私自身」だと言えるのでしょうか。

もちろん、私自身が手を動かして文字を書いています。実際に、私の口から言葉が出ています。

けれど、その言葉のもとになっている考え方は、すべて私だけのものではありません。

このように考えるようになった原因があるはずです。誰かから聞いた言葉、誰かの生き方、親から受け取った価値観、学校で学んだこと、社会から受け取ったもの、これまで出会ってきた人たち……。

そうした多くのものの中から、私は自分に合うものを選び、受け入れながら、今の私を作ってきたのだと思います。

そう考えると、そのもとにあるのは「真似」なのかもしれません。誰かから受け取ったものを真似し、そこに自分なりの選択を重ねてきた。それが、今の私なのではないでしょうか。

「私」は一人で存在しているのだろうか

仏教には「縁起(えんぎ)」という言葉があります。

「あれがあるから、これがある」 「原因があって、結果がある」

「因縁」という言葉で表されるように、すべての物事はさまざまな関係性(縁)の中で成り立っていると考えます。

私という存在が、今こうして成り立っているのも同じなのではないでしょうか。

両親がいた。言葉を教えてくれる人がいた。学校があった。友人がいた。社会があった。さまざまな出来事があり、その一つひとつを経験してきた。

そして、それらの積み重ねの中で、私は今の私になっています。

そう考えていくと、この「私」という存在を、私だけのものだとは言えなくなるように思うのです。

私の考え方も。私の言葉も。私の価値観も。私が「私」だと思っているものさえも。さまざまなものとの関わりの中で生まれてきたものなのかもしれません。

では、本当の「私」とは、いったい何なのでしょう。

私は私だと思って生きてきました。けれど、その「私」が、私一人によって作られたものではないのだとしたら。

私が「自分」と呼んでいるものを、もう一度見つめ直してみる必要があるのかもしれません。

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