【役割 生きづらい】親や仕事の仮面を外して自分らしく生きるコツ

これが自分の役割だと思い込んでしまうことがあります。自分が思う役割をやり遂げなければと思えばつらくなります。それでも役割のために生きてしまうのは、その役割が自分の人生だと思いたいからではないでしょうか。

この記事では、親として、子として、そして仕事場で、与えられた役割を果たそうと必死になりすぎて自分を見失ってしまった、私自身の物語を綴ってみました。
今、何かの役割に縛られて息苦しさを感じている方とって、この記事が何かしらのお役に立てば幸いです。

完璧な親という役割の罠|「子供のコントロール」に必死になっていた理由

スポーツで身体を痛めてしまった我が子を整体院へ連れて行っていた頃、その待合室の本棚で、手塚治虫さんの漫画『ブッダ』がふと目に留まりました。

子どもが身体を痛めてしまった原因は、明らかに日々の練習のし過ぎにありました。整形外科の医師からは「しばらくは休ませなさい」と言われているにもかかわらず、当時の私は「練習を休んだら遅れてしまう」「次の試合にもどうしても出場させなければ」と思い込んでいました。

もちろんそれは、傷ついた子ども自身の本心ではなく、私だけの身勝手な執着です。
「練習を続けさせながら、痛を治してくれる良い先生はいないか」
と探し回り、ようやく辿り着いたのがその整体院でした。

しかし、明らかに疲弊していく我が子の姿を間近で見ているうちに、私の心は激しく揺らぎ始めました。
「私は本当に正しいのだろうか……」と、自分の考えに強い迷いが生まれたのです。待合室で『ブッダ』という題名に強烈に引き寄せられたのは、そんな心の揺らぎがあったからだと思います。

漫画を通して、ブッダの人生に興味を引かれた私は仏教に自分を変えるヒントがあるのではないかと感じました。読み進めるほどブッダという人に引かれていきました。

そんなある日のこと、たまたま宿泊した先で、『仏教聖典』という一冊の本と出合います。そこには、そのときの私にとってありがたい教えが並んでいました。仏教を学んでみよう。そこで手にしたものは、原始仏典と呼ばれる経典でした。そこにはブッダがかつて語ったであろう言葉が書かれています。

しかし、経典を読み進めていくと、わからないことが多く出てきました。また、自分事としてどのように受け止めれば良いのか、自分の人生への生かし方がわかりません。

本を読むだけでなく、実際に僧侶の方に会って、この苦しい質問を直接ぶつけてみたい。そう願うようになり、そこから数々のお寺を巡る日々が始まりました。

一体どれほどの月日が流れたでしょうか。 ようやく出会えた信頼できる僧侶の前で、私はそれまで誰にも言えなかった胸の内を打ち明けました。

当時の私は、自分の人生に満足していませんでした。仕事で大した成果を出しているわけでもなく、家庭を振り返れば、身体を痛めて苦しんでいる我が子に無理な練習を強いるような、親でした。
自分の過ちに気づいたとき、何一つ成し遂げていない自分への「強烈な焦り」がこみ上げてきました。その焦りが、僧侶の前で
「私は未だ、何者でもありません。何者かになりたいのです」
という、悲痛な言葉となって溢れ出たのです。

仏教の言葉「何者にもならなくて良い」|作られた理想の自分を手放す知恵

必死に現状を抜け出すためのアドバイスを求めた私に対して、その僧侶は静かにこう答えました。

「何者にもならなくて良い」

その言葉に、私はとても戸惑いました。成長するために助言を求めたにもかかわらず「なぜ何者かにならなければならないのか」と逆に問い掛けられたからです。

やがて私は、その言葉の意味を見つけていきました。私が求めていた「何者か」になるとは、「本当の自分らしさ」とは、全く違うものだったのです。

僧侶は、自分を見失っている私に気づいていたのでしょう。それ以上まだ自分を作ろうとするのですか?それは、本当のあなたではありませんよ。そんな風に思っていたのではないでしょうか。

経済的な成功と言われるもの。役職など地位や名誉。そうしたものが生きる意味ではない。
本当に大切なものがあると伝えたかったのでしょう。

良い子と教員の仮面|なぜ私は「他人の期待に応える役割」を演じ続けたのか

なぜ私はこれほど「何者か」という役割に焦っていたのか。その原因を探るために幼い頃の自分を思い出してみると、私は常に「親が求めるような良い子」でいようと必死でした。

やがて大人になり、教員という職業に就いた私は、今度は学校の尊敬する先輩教員に認められようと必死に働きました。その後、教員を辞めて実家の家業を継承したときには、再び「親に認めてもらいたい」という思いを持っていました。

私は、自分ではなく、常に他者と向き合っていました。私はどうしたいのか、など考えもしませんでした。誰かに認めてもらうためだけに生きていたのだと思います。

親が期待する子供、親の理想とする子供になるとは、親の人生を満たすための生き方です。
私自身がそれを望んでいたのだと思います。

評価され、認められることが嬉しかったのです。親に対する甘えをずっと引きずって生きてきたのでしょう。誰かに対しての依存といっても良いかもしれません。

何者かになりたい焦りの正体|役割を失うと自分の価値がわからなくなる恐怖

「何者かになろう」と願って努力すること自体は、何も間違いではないと思います。ただ、私は間違ったものを目指してしまった。

自分を見失ったままでは、何者かになるよりもまず、自分を知ることが大切です。私は、自分と向き合うことを避けていたのです

何者かになるのだと言い続けて生きている自分を求道者のように思いたかったのかもしれません。しかし、それは自分の人生ではありませんでした。

そこから、私の本当の自分探しの旅が始まりました。自分のことなのに、自分の気持ちが一番わからない。自分の心だからこそ、近すぎて見えなくなってしまうのです。

僧侶の言葉に何度も助けられ、時には厳しく間違いを正してもらいながら、私は自分を知る旅を続けました。その道のりの途中では、温かい出会いがあり、私の心を救ってくれる新しい言葉たちにも出会うことができました。

役割の引き算|期待を背負うのをやめると本来の自分が動き出す

自分を探し、今の自分を認めることは、「何者かになる」ことよりも、難しいことかもしれません。しかし、本来の自分へ還っていけば還っていくほど、心がどんどん楽になっていく自分を、私は体験しました。

だからこそ、HANEのコンセプトには、「足すのではなく、引く」という考え方を掲げています。

何かを足し算していく生き方は、どこまでも終わりがありません。

何者にもならない、そのままのあなたという存在が、どれほど十分に素晴らしく、美しいか。そのことに、気づいていただけたらと思っています。

役割を演じることに疲れたら。稲沢市HANEはそのままのあなたを待っています

HANEのセッションは、あなたが社会や家族の中で背負いすぎてしまった重荷を、
一つずつ丁寧に引き算していく時間です。

もし今、かつての私のように一人で苦しんでいるなら、その重い荷物を一度、ここに降ろしにきてください。あなたが本来の自分へ還る道のりを、伴走します。

本来の自分軸で楽に生きるための仕組みや、HANEの具体的な対話セッションの詳細は
以下のリンクから詳しくご覧いただけます。

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【自分探し 疲れた】人生の迷路を抜け出し本来の自分に還る総まとめ

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