なぜ生きづらいと感じるのか|人の目や思いどおりにならない苦しさを考える

  • 思うようにいかない
  • 頑張っているのに報われない
  • 人と比べて苦しくなる

「なぜこんなに生きづらいのだろう」と、人生の途中で、生きていることが苦しく、つらくなってしまうことがあります。

思うように生きたいのに、思うようにならない。自分をわかってほしいのに、誰にもわかってもらえない。人の目が気になってしまう。頑張っても、なかなかこのループから抜け出せない。

「なぜ私にはこんなことばかり起こるのだろう」
「どうすれば、この苦しさから抜け出せるのだろう」

私自身にも、そんな経験があります。今現在も、生きづらさの中でもがいている人がいるのではないでしょうか。

しかし私は、生きづらさとは「真面目に生きようとしているからこそ生まれる苦しみ」でもあると思っています。自分を諦めてしまったのではなく、自分を諦めたくないからこそ苦しい。

その苦しみを、今すぐ何かの意味につなげる必要はないと思います。ただ、いつか振り返ったとき、その経験から気づくことがあるのかもしれません。

この記事では、人はなぜ生きづらさを感じるのか、そして少しでも心を楽にしていくための考え方について、私自身の経験も交えながらお伝えできればと思います。

思いどおりにならない苦しさ

生きづらさにつながる要因はいくつもあります。ここでは、その中でも私自身が重要なな要因であると感じている「わかってもらえない苦しさ」と「人の目を気にする苦しさ」について考えてみます。

わかってもらえない苦しさ

生きづらさを感じる原因の一つは、「自分をわかってもらえない苦しさ」ではないでしょうか。

私たちには、それぞれ想いや考えがあります。しかし、それを周囲と分かり合えない。会社や学校、家族の中で受け入れてもらえない。「あの人がわかってくれたら」と感じてしまう。そうした“ズレ”が、生きづらさにつながっていきます。

人が最初に「思うようにならない」を経験するのは、1歳半から3歳頃の“イヤイヤ期”ではないでしょうか。子どもには、自我と共に「自分の思うようにしたい」という気持ちが芽生え始めます。

しかし、うまく伝えられない。思うようにできない。その葛藤が、「イヤ!」という感情として現れます。けれど、子どもたちは、一つのことで泣き叫んでいたとしても、楽しいことが見つかればすぐに笑っています。

それは、一つの出来事に執着し続けていないからではないでしょうか。一方で、大人になると、一つの出来事を何度も考え続けてしまいます。

「あの時こうすればよかった」
「嫌われたのではないか」
「なぜわかってもらえないのだろう」

そうして考え続けることで、執着が生まれ、生きづらさが大きくなっていくのだと思います。

  • こうあるべき
  • こうしなければならない
  • こうでなければ価値がない

頭の中にこうした強い基準を持っているほど現実に裏切られ、そのズレが「苦しさ」を生んでしまいます。

人の目が気になってしまう苦しさ

生きづらさのもう一つの原因は、「人からどう思われているか」を気にし過ぎてしまうことです。

悪く思われている気がする。否定されている気がする。周囲に合わせなければならない気がする。その苦しさから、自分を自由に出せなくなってしまいます。

会社や学校、社会には、それぞれルールや空気があります。時には、「こうするべきだ」と
求められることもあるでしょう。しかし、その中で、「自分はどう生きればよいのだろう」
と迷ってしまうのです。

人には誰にでも、自分なりの想いや価値観があります。それをわかってほしいと思うのも自然なことです。なぜなら、人は社会との関わりの中でしか、自分という存在を感じられない生き物だからです。

頼まれたことを断りたいのに、嫌われるのが怖くて引き受けてしまう。自分は納得していないのに、周囲に合わせて「それでいい」と言ってしまう。誰かの何気ない一言を、帰宅してからも何度も思い返してしまう。

こうしたことが重なると、自分がどうしたいのかよりも、相手にどう思われるかを優先するようになります。

真面目な人ほど陥りやすい「考え過ぎ」

世界保健機関(WHO)の憲章では、健康について次のように定義されています。

「健康とは、単に病気でないとか、弱っていないということではなく、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、満たされた状態にあることを言います」

私たち人間は、身体や心が元気なだけでなく、社会の中でも満たされて初めて、「本当に健康である」と言えるのだと思います。それほど、人と社会は密接に結びついているといえるのではないでしょううか。

だからこそ、自分と周囲との間に大きな「乖離(ズレ)」があると感じたとき、私たちは生きづらさを覚えてしまう場合があります。こうした状態が続くと、心身の調子に影響することがありますから、自分が何に苦しんでいるのか見つめることも大切でしょう。

特に、真面目な人ほど、生きづらさを感じやすいのではないでしょうか。

頑張ろうとする。
ちゃんとしようとする。
周囲と分かり合おうとする。

その思いが強いほど、一つひとつの出来事を真剣に受け止め過ぎてしまいます。

「何とかしなければ」と思うほど、考え込み、苦しくなっていく。そして、「こうあるべき」「こうしなければならない」という“すべき思考”の罠に囚われていきます。

思考を休めるヒント|僧侶に教わった「あきらめる」の真意

では、生きづらさを抱えた時、どうすればよいのでしょうか。

周囲に合わせようとして無理を続ければ、さらに苦しくなってしまいます。自分を押し殺し続ければ、やがて「自分がわからない」と感じるようになるかもしれません。

私は、人が「自分の思うようにしたい」と感じるのは自然なことだと思っています。しかし、その思いに強く執着し過ぎると、苦しみも大きくなっていくのではないでしょうか。

ある時、思うようにならない悩みに対して、一人の僧侶が言った答えを紹介したいと思います。「あきらめましょう」最初は、その真意がわかりませんでした。

しかし、その僧侶は、「あきらめる」とは、“明らかにする”ことだと教えてくれました。自分の思うようにならない。それは、ある意味当たり前のことです。

相手には相手の考えがあります。組織には組織の事情があります。自分と相手の思いが、完全に一致することの方が難しい。

それを“明らかなこと”として、そのまま受け止める。その諦め(明らめ)がついた時、
人は初めて肩の力を抜くことができるのかもしれません。

相手に分かってもらいたいと思うことは、自然なことです。しかし、どれだけ説明しても、相手が自分と同じように理解してくれるとは限りません。

その事実を認めることは、自分の気持ちを諦めることではありません。相手を変えることだけに力を注ぐのをやめ、自分にできることと、できないことを分けて考えることなのだと思います。

五感の心地よさを大切にする生き方

私たちは、つい自分中心に物事を考えてしまいます。自分の価値観を基準に、「何が正しいか」を判断しようとします。

しかし、本来、人それぞれ価値観は違っていて当たり前です。同じ出来事でも、立場や経験によって見え方は変わります。だからこそ、人は社会や他者と折り合いをつけながら生きているのだと思います。

人の目が気になり過ぎてしまう時、そこには“思考”に偏り過ぎている状態があるのかもしれません。

もちろん、考えることは大切です。しかし、考え続けることで、かえって苦しくなってしまうこともあります。子どものようにとはいきませんが、時には感覚的に生きることも必要なのだと思います。

例えば、考えが止まらないときに、いったん手を止めて、温かい飲み物の温度を感じる。外に出て空を眺める。土や植物に触れ、その感触に意識を向ける。好きな音楽を聴くのもいいでしょう。自然の中で深呼吸をするのも良いものです。

そうした「感覚の時間」が、囚われ続けている思考を優しく緩めてくれます。

頑張り過ぎている自分を、優しく見つめ直そう

生きづらさを感じることは、決して弱さではありません。もちろん自分を責める必要もないと思います。

これまで周囲に合わせたり、何とかしようと頑張ったりしてきたからこそ、苦しくなっているのかもしれません。

だからこそ、自分を責める前に、「私は何に苦しんでいるのだろう」と、少し立ち止まって考えてみてもよいのではないでしょうか。そうすることが、役割や他人の目から解放され、本来の自分へ還っていくきっかけになるのではないでしょうか。

「もっと頑張らなければ」という足し算の思考を止め、そっと一歩引いてみる。頭の考えを緩め、心の中にある本音を大切にしてみませんか。

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